答えはいつだってシンプルさ。

役者とかやってるとさ、例えば“この男はこういうタイプだからちょっとぶりっこして落とそう”とかってやるの?w

と、言われたことがあります。
冗談にしてもちょっとイラッとくる言葉でした。
役者馬鹿にしてんのか。
人間馬鹿にしてんのか。

やんないです、そもそもそんなに人に興味ありません。

と、返しましたがそれに対して言われた言葉が

じゃあお前は自己中で身勝手な奴なんだな。人に興味がないってことは自分にしかないんだろ。人が怒られたり何してたりしようとどうでもよくて、でも自分がその立場になると癇癪起こしたりするんだろ。と。

…何故そうなったし。
もうどうでもいいよと思い「そうですね」と返し会話を終わらせましたが、何故知り合って2ヶ月程の人にそんなこと言われなければいけなかったのか。
2ヶ月で私の何を知ったんですか?
この言葉で私が傷付かないとでも?
あなたのような人がいるから私は人に対しての警戒心が強いのです。

やっぱりこういうことを言われると、違ぇよと思う反面そうなのかもしれないと思うこともあり、気付けば持ち前のマイナス思考で自分はこういう人間なんだと自己暗示をかけています。
平気を装いつつハートは荒れました。



そんなときついこないだ別の人が私にかけてくれた言葉で救われました。

そういうふうに思ったことないよ。
だって君は誰かの悲しいことで一緒に泣いて、誰かの幸せで一緒に笑顔になれる人でしょ。
そんなの自己中心的じゃないし身勝手なんかじゃない。
知ってるよ。
優しさって言葉だけじゃないから。
だからそんなふうに思ったことはない。

例えたった一人でも、自分を肯定してくれる人がいればそれだけで救われるもんだなぁと思いました。
そうやって言ってもらえるなら、そういう人間になりたいとも思う。

日々過ごしていると、不意に傷付けられることは多々あるし、職場の他店舗のおばちゃんに目をつけられ電話対応する度に怒られて嫌になったりするけど、逆に不意に与えられる優しさに余計感謝できるようになる。
ありがたや。

ちなみに関係ないけど私は幼い頃から怒られれば怒られるほどやらなくなるタイプでした。
小学生のときのエレクトーンの習い事がまさしくそうでした。
先生が変わって、その人が苦手で、上手くならなくて怒られて、「違うでしょ!?そこはこうだって何回言えばわかるの!!?」と目の前で鍵盤を叩かれ、こわくて練習しなくなって、そして1週間が経ち、先生の前でやってまた激怒されるを幾度となく続け、努力家で出来のいい姉はいつだって褒められていましたが、私はその先生に褒められることなんて一度もないまま習い事を辞めました。
私はそうやって人間を嫌いになったなぁと今思い出す。



突然何故こんなことを思ったかというと、
今日は久しぶりにしっかり台本を読み直していて、今回の芝居の世界は悲しいことで溢れている世界だから悲しいことを考えていたらここに至りました。
だけど自分が受けた悲しい気持ちを見事に消し去ってくれたので、今は悲しくない。